日々雑録

40歳、書籍編集者の日記です。

来世があるなら男か女か

仕事関係の人と大勢で話していたとき、「来世があるとしたら、男に生まれたい? 女に生まれたい?」と聞いた人がいて、全員が「男」と答えたので悲しい気持ちになった。私もどちらかというと、社会が現状のままなら、次は男がいいかなって思ってしまう。

私は旧弊な田舎に生まれたけれど、女性解放運動をしていた親に育てられたので、家庭内で「女の子だから」と何かを制限されたことはなく、「女の子らしさ」を押しつけられたこともない。基本的には私も弟も平等だった。むしろ父は自分が親から押し付けられた「男らしさ」をつい弟に少し押し付けてしまい、また反動もあって女尊男卑ぎみだったかもしれない。母は「わがままに生きて 好きな仕事をして」と確実に私に期待をかけていた。優秀であれ、ではなく、自由であれ。

でも、家を一歩出れば、そこは男尊女卑の国。親世代の女性たちの多くは専業主婦で、夫や舅姑の理不尽に耐えていたり、夫は飲み歩いているのに家事や子育てや介護に追われて時間も自由にならなかったり。同級生でも女だというだけで兄弟より成績がいいにもかかわらず進学をあきらめた人もいたし、進学すれば「女の子なのに大学?」って言われることなんて特にめずらしくもなく、こんな窮屈な田舎からは早く出たいと思っていた。就きたい職業が編集だったからとか田舎が合わなかったというのもあるけど、性差別にうんざりだったのも大きく、中学生の頃には既にこんなところで結婚するなんて絶対無理だと思っていた。婚家に入るとか舅姑に仕えるとか、そんな時代錯誤はまっぴらごめん。

その後、上京すると、大学でも他でも誰からも女らしさを求められず(そんな空気もなく)、就職した会社にも全く差別がなく(中小だからかな)、気持ちよく暮せた。結婚のときは、夫が自分の両親に「結婚します。これはきちんと話しておきたいんだけど、〇〇家の嫁ではなく、ぼくの妻になるだけだからね。名字を変えてもらうのは、選択的夫婦別姓制度がまだないから。お父さんとお母さんとは親しくなっても永遠に他人だから、それを忘れないで」と説明してくれた。「お父さん」「お母さん」と呼ぶと錯覚を起こしやすいだろうし、違和感もあったので、お互いの両親は名前に“さん”づけで呼ぶことに。うちの親は「好きに呼んで」って感じだったけど、夫の親は驚いたかもしれない。かくして、お互い好きな仕事や趣味を自由にして適当に家事を分担して、ずっと同じように暮らしてきた。

ところが、先日ツイッターでも話題になっていたけど、妊娠・出産をすると、話は違ってくる。子どもを産む前から少し予想していたけど、思っていた以上だった。妊娠するのも出産するのも授乳するのも、どうしたって女性。産休をとるのも女性。私は大丈夫だったけど、妊娠中に体調が悪くなったり会社に居づらくなったりして仕事を手放さざるを得ない人もいる。この時点で女性だけ高リスク。さらに「主に女が子育てすべき」「女は母性があるからできるはず」「女は子育てを最優先にすべき」という抑圧はまだ強い。母性幻想はいい加減にしてくれと言いたくなる。女だから子育てや家事に向いている、なんでも耐えられるということはないんだよ。男女とも同じ。ただ努力の差や個体差があるだけ。

私たちの場合、私が子どもを育てたくて(正確には、突き詰めると本当にそうなのかよくわらない気がしたけど自然に任せたかった)、当時の夫は好きな仕事に集中したいから(時間が自由にならない仕事だし)という理由で望んでいなかったので、私が子育てや家事を多く担当する約束だった。が、実際に平日ほぼひとりで育児と家事と仕事をやってみると、なんて疲れるんだろう、なんて不自由なんだろうと思った。仕事して保育園に迎えに行って家事をして、また仕事をして。

夫は、別に<女が子育てや家事をするべき>とは思っていないので、子どもが生まれてすぐから週末にはときどき1日中ひとりで子どもの世話をしたし、普段も子育てや家事をできるだけしてきたけど、私としては出産前と比べてあまりに負担が大きかったし、何より体が疲れ果てていたので(なんで私ばかり!)と爆発的な怒りを感じたこともあった。ただ、分担できるときはするから、話し合えたから、感謝を表してくれたから、大前提として家事や子育ては女の仕事だと思っていないから続いている。そうでなければ離婚していたかもしれない。

多くの女性が言っているように、まだ子どもができると女性の負担が増えることが多い。だいたい、なかなか公平に半分になんてできない。でも、確実に私の祖母はもちろん、母の時代よりずっとマシになっている。子どもをひとりで連れ歩く男性はめちゃくちゃ増えたし、育休を取る男性もいるし、きっと今後も増えていく。みんなが声をあげたり、夫と話し合ったり、子育てに生かしていけば、次の世代にはもっとよくなっているはず。私は私にできる小さなことを――例えば、男女両方へ呼びかける子育て本を作るとか、自分自身の子どもが性役割に縛られないよう「男の子だから」なんて言わずに育てるとか――地道にやっていこうと思う。

とにかく、次世代の女性にはもっとラクに生きてほしい。あと、いつか「来世は男女どちらでもいい」と言えるようになりたい。

父が最後に教えてくれたこと

少し前、夫が何かの話のついでに「清之さん(父)、子どもが生まれてすぐの産院からの帰りに車の中で“これからマオ(私)は大変で、きっとうるさくなるだろうけど、勘弁してやってくれよ”って言ったんだよ。自分の病気がわかったばかりなのに」と教えてくれた。初耳だ。早く教えてくれよ。続いて「本当に強烈な人だったけど、魅力もすごくて、死ぬ前は特にかっこよかったよな」と。

そう、我が父ながら死ぬまでの2年間は特にかっこよかった。

2011年の夏、臨月の私は里帰り出産のために実家に戻っていた。それまで元気いっぱいだったものの、予定日近くなると息をするのも苦しく、また久しぶりの田舎は落ち着かなくて(早く産んでしまいたい)と思っていた頃。父が帰宅するなり「がんだった。もう手遅れだ」と言った。普段穏やかでやさしい母は気が動転して「やめてよ! なんで今なの!せっかく孫も生まれるのに!」「だから、お酒とかタバコとかやめてって言ったのに!」と激怒して詰め寄り、父はただ受け止めていた。

それから2年。父は家族のために、というか母のために1日も長く生きるべく東京の病院に通いながら闘病した。もちろん家族も常に心配して病院に通って大変だったけれども(夫は私が行けないときも、羽田空港と病院の間を車で送迎してくれた。孫を見せるために子連れで)、一番大変だったのは父だ。本当はもう治療なんかしたくなかったと思う。だけど、抗がん剤でフラフラになりながらも病院に行けば喜んでくれて、私たちに「お前たちが来てくれたから良い日だ」「お前たちは偉いな。俺よりもちゃんと子育てしてる」「おおらかでいい」と必ずお礼を言ったり褒めたりした。

2013年のゴールデンウィーク、私たちは孫を見せようと帰省したけれど、父はイライラして落ち着かない。それまで「できるだけ、みんなに会いたい」と言い、いつだって喜んでいた父だったけれど限界がきたのだ。そのまま早めに帰京しようと思った。そうしたら父が静かに口を開き、「ごめんな。こうして病気になって死ぬとわかってから、下手に長生きしすぎて、お前たちに負担をかけなくてよかったとも思うんだ。本当に本当に心底そうも思う。だけど、一方で早すぎて“どうして俺が! なんで俺なんだ!”という苛立ちが止められないことがある。お前たちがずっと俺を心配してくれて顔を見せてくれて、ありがたいと思ってる。予定通りもう少しいてくれ」と話してくれた。そうだ、私が(どうして私の父なのか!)という気持ちになる以上に、父自身が思っていたはずなのだ。病気になるのに、死ぬのに、理由なんかなくて理不尽だから。このとき、私は泣きたかったんだけど我慢してしまった。本当は泣いたらよかったと思う。そうすれば父も一緒に泣けたかもしれない。

2013年の夏、いよいよ意識を失って入院した父。そこでも意識が混濁しつつも、やはり引っ越しをした話をすれば「すごくいいな。子どもの環境のことを考えたんだろう。二人とも大人になったな」と褒めてくれた。今思い返しても、最後の最後まで褒めてくれたなあと思う。 

父は、もともと詐欺師のように話がうまく不謹慎で面白かったけれど、若いときは極端に左よりで強烈に傲慢で我儘だった。でも、世の中を良くしたいという気持ちが強く、様々な人の手助けをするうちに少しずつ中庸になり、そのうちに傲慢なところも減っていき、やさしいところが増していった。どんな人とでも対等に話し、美点を見つけては感心していたし、今思えばいろんな人に出会って変わっていったんだろう。私や弟からも影響を受けたと話していたことがある。若いときと年を取ってからでは全然違った。さらに病気になってからは、もっと違った。

親が最後に教えることは「死」だと言う。父は死に方や病気の本人や家族がどんな気持ちかだけでなく、人は死ぬまで変われる可能性があるということを最後に教えてくれた。遠い将来、私がこの世を去るとき、子どものことを褒めたいと思った。別に父と同じでなくてもいいんだけど、できたら同じように褒めたい。「痛い、痛い」「死にたくない」と騒ぐおばあさんになるような気もしないでもないけど。

 

子ども、1人か2人かもっとか

子どもがいると、他人から「もう1人はいつ?」「一人っ子はさみしいよ」などと言われることがある。私が最初に言われたのは、出産の半年後。そのとき作っていた本の撮影時に3人の子持ちカメラマン(男性)から「次はいつ? 早いほうがいいよ」と言われた。別に腹は立たなかったけど、あまりに早すぎてびっくりしたし、私と夫の人生に大きくかかわることなのに(言った人には何の関係もないのに)、勝手に次があると決められたことに驚いて「産むかわからないし、まだ考えられない」と答えた。

わりと年をとっているせいか、またはしっかりしているように見えるせいか(別にしっかりはしていない)、あるいは気が強そうなせいか(確かに気は強い)、私は他人に余計なアドバイスをされないほうだけど、それでも10回は言われている。

私と夫は、最初から話し合って「たぶん子どもは1人」と決めていた。その理由のひとつは、夫が仕事に集中したいから。夫は仕事でやり遂げたいことがあり、性格的に子どもが複数いたら子育てや家事も精一杯しようとして、追いつめられるからだ。人生の目的も性格も、それぞれ。もうひとつは、私は子どもが大好きだけど仕事も好きで家事は大嫌いだし、私の能力では2人、3人の子どもを適切に育てながら働くのは難しいと思ったから。もちろん、妊娠・出産・夜泣き対応・離乳食づくりを再びするのが嫌だとか、身軽に旅行したいとか、保育園に入れなかったら困るとか、私や夫の親に子育てを手伝ってもらうのは避けたいとか、ほかにも細々とした理由がある。

子どもが0~2歳のころは毎日とても疲れていて、「かわいい」と「大変」だけで頭がいっぱいだったから、次の子どものことなんて考えもしなかった。

ところが、2~3歳になったころには少し余裕が出てきて、子どものあまりのかわいさに「もうひとり、ほしくなっちゃうね」と私はもちろん夫までもが何度も口にした。4~5歳になったころには、それまで並行遊び(友達と遊んでいるようで、ただ並んで遊んでいるだけ)をしていた子どもが発達し、本当に友達と遊ぶことを楽しみ始めて、やっぱり弟か妹がいたほうがいいかもと迷った。最近ではキャンプに行ったときに、そこで出会った子たちとわいわい遊んだあと、兄弟姉妹のいる子は一緒にテントに戻っていくので「さみしい」と泣かれ、これには心が痛んだ。他人が言うことはどうでもいいけど、子どもや自分たちの気持ちは当たり前だけどとても大切。

でも、それでも私たちの選択はやはり変わらなかった。よく考えたうえで、私たちには私たちに合う生活があるし、無理をしても上手くいかないと思ったからだ。今でも(もうひとりいたらな~)ってたまに思うこともあるけれど、別に私の子どもではなくても子どもはみんなかわいいので、友達の子や近所の子たちをかわいがりたい。

だから、子どもにはちゃんと説明することにした。これが私と夫の選択だということを、何にでもメリットとデメリットがあることを。兄弟姉妹がいるメリットは、家でも一緒に遊べる、気が合うと楽しい、大人になっても様々な条件が合えば付き合い続けられることなどがある。一人っ子のメリットは、それだけひとりに目も手もお金もかけられること、割と身軽に出かけられること、私たちのどちらかに何かがあっても残りの一方が守りやすいことなど。何を選んでも大体はメリットもデメリットもある。これは本当に希望があってよいことだ。

そして、一人っ子のメリットを私たちは享受している。平日だって、ときには自転車を飛ばして美味しい店にご飯を食べに行ったり、ふらりと探検したり、本屋さんに行ったり。ちょくちょく遠出や旅行をしたり。一方で、いつも行く商店街で日常的に5歳と3歳の兄妹に混じったり、私の友達の子どもと一人っ子同盟を組んで、兄弟とはいえないまでも従兄弟のように付き合ったり。

結婚していなかったら「結婚しないの?」、子どもがいなければ「いつつくるの?」「早いほうがいいよ」などと言う人がいる。子どもができたらできたで「次の子はいつ?」などと聞く人がいる。大体は自他の境界線が曖昧で無神経だったり、自分の選択が最良だと信じていたりするんだろうけど、内心(おいおい子どもかよ)(自分にとっての最良が他人にも通用すると思うのはおかしいだろう)と思ってしまう。そして、一部には自分の選択(結婚でも出産でも何でも)を本当によかったとは思えなくて、無理に「よかった」「正解だ」と思いたいがために他人に押し付けている場合もあるだろう。こっちはつらい。いずれにしても、何をしてもしなくても、余計なことを言う人はいる。

私は少し図太いところがあるので、淡々と「このかわいい子がいるから十分」とか「ほしいなと思うこともあるけど、こんな事情があるから」などと率直に返答してきた。不愉快な言い方だったり関係性が薄いのに踏み込んできたりした場合は「個人的なことだから」と静かに威圧したりもした。それでもしつこくしてきた人は過去にいないけど、されたら真正面から怒るだろうな。でも、はっきり言えない心やさしい人もいるし、こういう他人の人生に土足で踏み込むようなことはなくなるといいなと思う。同じことをたくさんの人に言われたら、いちいち答えるのも面倒くさいし。

「経済的自立」という言葉

たまに「経済的自立を!」「私はこうしてきた!」「みんながんばればできる!」という強い主張を見かけると、ちょっと微妙な気持ちになる。

ひとつは、人はそれぞれに生まれ持った性質(身体的にも内面的にも)も、生育時の環境も、現在の環境も、出会いも運も違うわけで、今の社会に適応することの難易度だって同様に違うからだ。もちろん、努力もある。けれども努力だけではないはずで、それを念頭に入れていない感じがすると(ウウウーン)って気持ちにさせられるんだと思う。なんとかできたって適性のないことはつらいし、他人が短時間でできることに長時間かかったら、コスト(しんどさも)が違いすぎる。

もうひとつは「経済的自立」という言葉が、すごく刺さりそうだと思うから。言葉の問題かもしれないけど、「自立」という言葉は「依存」という言葉を想起させるわけで、昨今のようにあらゆる依存が悪かのように言われていれば、人によっては嫌な気持ちになるんじゃないだろうか。もちろん、経済的に自立しているに越したことはない。ただ、子どもや若い世代には経済的自立のメリットを伝える必要はあっても、ほとんどの大人は知っているはず。それでもできない(しない)場合には何らかの理由があるのだから、声高に叫ばれても困る。

そして、この言葉を専業主婦(主夫)に向ける場合は特に違和感がある。今まで実際に専業主婦のひとが「経済的に自立していないから」と卑下する場面を何度も見てきた。逆に「経済的に自立した働くママは離婚しがちでよくない」と自分を肯定するために攻撃的になっているひとも見た。夫婦間や家族間で分業しているだけで専業主婦だって働いているのに、そう思わせない空気があるんだろう。そもそも何が理由でも働いていないことを卑下する必要なんてないと私は思うのだけど。

確かに「独自の収入源」がないということには、大きなリスクがある。収入を確保している人(配偶者や家族など)が病気になったときや亡くなったとき、別れたくなったときなどに確実に困る。でも、家族の大人全員が働いていてもリスクはある。家族の時間が持ちづらく、家事などに追われがちだ。子どもや要介護者がいる場合は余計に時間がなく、十分にケアできないかもしれない。また、たくさんの子どもを産み育てるのはなかなか難しいし、どう考えたって子どもはできるだけたくさんの時間を親(母でも父でもいい)と共に過ごしたいだろう。

先日、会社員の友達と、子どもが小学生になってから夏休みなどの長期休暇に毎日学童に通わせるだろうことについて話した。私たちの母は専業主婦だったので、長期休暇には友達と公園や川や山で自由に遊んだり、だらだらしたり、普段はできないことをした。無為な時間や自由は最高でかけがえのないものだ。それに暑さ寒さの厳しい時期にはマイペースに過ごしてほしい。でも、私たちは共働きなので、たぶん同じことをさせてあげられないだろう。共働きのメリットもあるから罪悪感こそないものの、やはり少し残念な気持ちにはなる。配偶者と別れたら経済的にまずいというリスクは低い。けれども、別のリスクはあるのだ。

本当はいったん仕事から離れても復職しやすかったなら、もっと多様な働き方が可能なら、1か月くらいのバカンスがとれたなら、男でも女でも専業でも兼業でもあらゆるリスクが低くなる。人じゃなくて社会の仕組みが変わったほうがいい。

子育て中に思い出すこと

子育てをしていると、自分の子ども時代を振り返ることが増える。

いま子どもが6歳なので、よく幼稚園の年長さんだった頃を思い出す。その頃の私は大変のんびりした子で、登園中に前を向いて歩いているのにもかかわらず、溝に落ちたり電柱にぶつかったりしていた。幼児期から高校まで共通していたのは、明るい、大らかでおっとりしている、でも自分の好きなことしかしない、ドジ、何を言っても響かないという感じ。だから、自分の子がとても几帳面で真面目で、苦手なことにも挑戦し、一度言われたことを忘れずに実行する様子を見ると、ただただ驚く。

親の姿も思い出す。先日、「価値観を押し付けたくない気持ち」で書いたけど、私にとってよくなかった点は「正義」を押し付けてきたところ。あとは父が不機嫌を周りに見せつけたところ、母の潔癖だろうか(どちらも中学生くらいになったら注意したけど)。まあ、これだって一概によいか悪いかは言えないけれど、私が嫌だったのは確か。他にも細々はあるものの、反対に「よかったな~」と思ったのは、こんなところ。

①愛情を言葉と態度で示してくれた

「かわいい」「愛してる」などと暑苦しいほど言われていたし、欠点だらけでも「お前らしくていい」「好きなように生きろ」「なるようにしかならない」と受け入れられていたことが、嫌なことがあったときに本当に支えになった。今でも支えになっていると思う。

②夫婦喧嘩を見せなかった

母は自分が子どもの頃に両親のケンカを見て、本当に不安でつらかったので絶対に見せないと決意していたとのこと。家か学校しか居場所がなく、自由に逃げられない子どもに夫婦喧嘩は見せないほうがいいと思う。私はたまに見せてしまっていて反省。

③両親がチームとして機能していた

私や弟が親のどちらかにひどい態度をとったときは必ずもう一方が叱り、親のどちらかとこじれたときは必ずもう一方が話を聞いてくれたうえで、親の側の気持ちを伝えてくれた。そして、お互いの悪口や愚痴は、面白い冗談半分のもの以外は言わなかった。

④意見を言う機会をくれた

一方的に知識をつけようとするのではなく、会話の中で「パパはこう思うけど、どう思う?」などと聞いてくれた。他人に伝わる形で自分の意見を言う練習になったし、大人になると誰も代弁してくれないので、これは役に立っている。

④好きなことをどんどんやらせてくれ、嫌いなことを強要しなかった

読書や虫採りなどの大好きなことを自由にやらせてくれ、自分の好みと違っても否定しなかった。一方、料理や掃除などが嫌いだったんだけど、最低限のお手伝い以外は「いつかやらないといけない日がくるから、そのときでいい」と仕込もうとしなかった。

⑤成長とともに距離をとってくれた

思春期になると、こちらから学校や友達のことなどを話せば聞いてくれたけど、あまり干渉しなくなった。多少は気になっていても、生あたたかく見守ってくれた。だから、さほど反抗しなくてすんだのかもしれない。

こうして書き出してみると、やっぱり思い出はよいところだけが鮮明だなとも思うんだけど、親のよかったところはマネして、嫌だったことは極力やらないようにするというのは一つの指針になっている。さらに専門家の本を読み、子どもの姿や反応をきちんと見ながら育てていこうと思う。何にしても子育ては工夫の余地があって、とても面白い。

価値観を押し付けたくない気持ち

先日、「先まわりして教えたい欲」のことを書いたんだけど、私は子どもに「何かを教えないと」と思う以上に「余計なことを教えないように、台無しにしないようにしないと」と思うことのほうが多い。どもが自分なりの視点や尺度で物を見たり、考えたり、選んだりするのを邪魔したくないという気持ちがある

 

そこで難しいのは、やはり大人と違って、子どもには教えないといけないこともたくさんあるところ。「子どもは何でも知っている」などと勝手な願望を投影して賞賛したり、大人というか保護者としての責任を放棄するのもおかしいし、実際のところ子どもは知らないことだらけだから

 

たとえば、衣食住のことや基本的なマナーはもちろん、子どもが親しくない身体的なことや個人的なことを唐突に聞けばそれぞれに事情があるから土足で踏み込んではいけないこと」を、友達が自分だったら嫌じゃないことを嫌がると言えば「それぞれに嫌なことが違うから、相手が嫌がることをしてはいけないこと」を、明後日の方向を見たまま謝れば「謝るときは目を見て謝ること」理解できるように説明しなくちゃいけなかったりする。

 

ただ、教えるべきことの取捨選択には、必ず私(親)の価値観が入りこむ。どうしたって私というフィルターを通して物事を教えることになる。そして、子どもは私の価値観を少なくとも小さなうちはまったく否定できないし、全面的に受け入れざるを得ない。たとえ極端な考え方を押し付けられても、知恵も力も対等じゃないし、たいていの場合は親のことが好きなのも手伝って受け入れてしまう。

 

私の親のフィルターは「正しさ」だった。だから私の偏りは明らかに「正しさ」にこだわるところで、20代くらいまでは呪縛が強くて少し不便だったし、今もとらわれすぎないよう気をつけてるよそでは「清貧」がフィルターになっていた例もあるし、それぞれにあるんだろうと思う。だから「どれが、どこまでが一般的なマナーなのか/どれが、どこからが自分の個人的なこだわりなのか、はっきり線引きはできないけれど、ちょっと気をつけることが大切なのかもしれないと思う。

 

子どもと一緒に暮らしているだけで私の価値観は伝わるし(それは別に悪いことではない)、押し付けないことはなかなか難しいけど、少なくとも押し付けないよう気をつけること、本人の意見や気持ちを聞くこと、本人の選択を尊重すること、代わりに選択したり決定したりしないこと、くらいはできそう。

月経がなくなればいいのにという夢

初潮がきて以来、必要な理由はもちろんわかっているんだけど、毎月「月経がなかったらいいのに」と思ってきた。月経前から肌は荒れ、お腹を下し、だるくなってむくむし眠いし(いわゆるPMS)、月経中はお腹と腰が痛いし、やっぱりだるくてむくむし眠いから。ピルも試したけど飲み忘れるし、鎮痛剤を飲んでやりすごすこと幾年月。

子どもはひとりと決めたし、もういよいよ本当に「月経なくなれ!」と思っていた昨年6月頃、小児科医の森戸やすみ先生がミレーナをすすめてくれた。

ミレーナというのは、約3㎝のT字型をした子宮内に装着する子宮内システム。ひとたび装着すると、約5年ものあいだ黄体ホルモン(プロゲステロン)を持続的に出し続けて子宮内膜を薄く保つことで、月経過多や月経困難症を改善し、避妊効果もある(※1年間に妊娠する確率は約500人に1人)。黄体ホルモンの効果は局所的(子宮内だけ)なので卵巣からのホルモン分泌は保たれるし(普通の無月経のときに起こりえる健康上の問題もなく)、過多月経と月経困難症に対しては保険適用になったので、適応があれば1万円くらいで装着できる……なんてよい話!

さっそく、森戸先生に教えてもらった「四季レディースクリニック」を予約した。まずは月経の仕組みを丁寧に説明していただき、それから内診で装着に問題がないことを確認してもらって、いざ装着。出産は帝王切開だったので子宮口が開きにくいかもしれず、装着するときの痛みが心配だったけど、軽く耐えられる程度だった。装着後の痛みは、ほぼなし。

それからの数か月は事前に説明された通りだらだらと出血があったものの、今では出血もほぼなく、月経痛や月経過多から解放されて、すごく快適。あんなに痛かったのは、なんだったんだと思うほど。約20%のひとは時間の経過とともに出血がなくなるそうで、旅行やプール、温泉の予定も入れやすくなった。局所的なものなのでPMSにはきかないとされているけど軽くなったような気がするし、肌荒れもマシになったような。

装着後はなんらかの異常がない限り、1~3か月後に健診を受け、あとは1年ごとに健診を受けるだけ。定期的に内診を受けられて安心だし、何か体調等に不安があれば相談できていい。もちろん、いつでも取ることができる。

思い返せば、私の母も月経過多で月経困難症だった。私が中高校生になってもつらそうで「月経がなくなればいいのに」「妊娠したいときだけでいいのに」と言いあったことを思い出し、ミレーナの話をしたらとても驚いていた。「親子二代の夢がかなったね」と言うと、笑ってうらやましいとのこと。母の時代にも、あったらよかったのにな。

 

<おすすめクリニック>

〇四季レディースクリニック

http://4season-cl.com/

人形町にある江夏亜希子先生のクリニック。

月経の仕組みの話も丁寧にしてくれて勉強になった!

 

〇丸の内の森レディースクリニック

https://www.moricli.jp/

新丸ビル9階にある宋美玄先生のクリニック。

優秀かつ気さくでやさしいので安心できる。

 

※ミレーナの公式サイト

https://whc.bayer.jp/mirena/index.html