日々雑録

40歳、書籍編集者の日記です。

先まわりして教えたい欲

子どもが物心ついてから、突如として「先まわりして教えたい欲」がわいてきた。

それは、子どもが転びそうなときに「転ぶよ」、こぼしそうなときに「こぼすよ」などと言うだけじゃなくて、例えばだけど「友達が嫌なことをする」と悩んでいるときに「お互いに嫌なことをすることはあるから嫌だとはっきり伝えて、自分が何かしてないか考えて行動を変えて、それでもダメなら少し距離をおくといい」とか、私が40年生きてきて身につけた私なりの「正解」を最短最速で教えたくなる、というようなこと。

そうしたくなるのには理由があって、ひとつには「大切な子どもに、できるだけ嫌な思いをさせたくない」という気持ちがあるから。この裏には「自分が子どものことを心配して疲れたくない」という気持ちも確実にあって、親になっても割と自己中心的なんだな~、でも私だからこんなもんだろうな~と思う。

もうひとつは「時間がないから、自分の手間をなるべく省きたい」という気持ちがあるから。食事をこぼされたりすると一緒に片づけるのが大変だし、長くぐずられたりすると疲れていて時間もないときなんかは、どんなにかわいくても面倒になってしまう。

けれども、本当は私の手間と心配が増そうとも、私とはまったく違う人格を持つ子どもは自分に合う自分なりの「正解」を見つけていくほうがいいはずで、私にとっての「正解」が子どもにとっても正解とは限らない。それに子ども自身が失敗したり嫌な気持ちになったりして初めて、自分の気持ちを自分で整理し、よく考えて言動を変えたりするという機会が生まれ、このプロセスを繰り返していくことで生きていく力が身につくと思うし、そのチャンスを親が奪うべきじゃないとも思ったりもする。

そんなわけで、最近、私の考えを植えつけるのではなく、子どもの話をよく聞いて共感しよう、理解しよう、考えをまとめる手助けをしたり、成長に合わせてヒントだけを提供したりしようと心がけるようになった。

来春には小学生になるし、過保護や過干渉にならないよう、少しずつ心の距離をとっていくことも必要だろう。少し前までオムツを変えたり、着替えをさせたり、あらゆる行動や感情を共にしてきたわけだから、なんだかさみしいけど。

もちろん、疲れているときは一緒に後片付けしたくなくて「わあ こぼすよ」と注意しちゃったり、じれったくて「んんんんんん~」と唸りたくなったり(唸ったり)、ときどき口を挟みすぎちゃったりするけど、余裕がないときは仕方ない。まあできるだけ。