日々雑録

40歳、書籍編集者の日記です。

嫌なことも好きなことも違う

夏前くらいだったか、子どもが「ぼくはなんにもしてないのに、〇くんが怒る」「ぼくはなんにもしてないのに、〇くんが嫌なことをする」などと何度か言ってきた。よく聞いてみると、お互いに相手は嫌がっているのに(自分だったら別に嫌じゃない)と思ってすぐにはやめず、ケンカになったということだった。

そういえば、昔、学校の先生が「自分が嫌なことは人にもしないように」って言っていたなあと思う。でも、こう言い聞かされてしまうと、相手が嫌がっていても(自分だったら別に嫌じゃない)と思ってやめないかもしれない。自分も相手が嫌がることをしていてお互いさまでも(自分は何もしていないのに相手に嫌なことをされる)と思ってしまうかもしれない。実際、うちの子も友達もそう主張していた。さらに相手が嫌がるようなことを(自分なら嬉しいから)と思ってしてしまうかもしれないし、そんなのって不幸だ。

本当のところ、嫌なことは人それぞれに違う。思いのほか、幅がある。だから「嫌なことは人それぞれ違うから、自分だったら嫌じゃなくても、友達は嫌だと思うことがあるよ。相手が嫌だと言ったり、嫌そうにしたりしたら、すぐやめようね。反対に自分が嫌なことは嫌だと言わないと、他の人には伝わらないよ」と言うと、驚きながらも納得していた。ついでに「同じように好きなことも人によって全然違うよ。だから自分にはよさがわからなくても、他の人の好きなことをけなさないようにしよう」「プレゼントをするときは、自分があげたいものではなく、相手が好きそうなものをあげるといいよ」とも伝えた。

自分と他人は違うと認識すること(自他の境界線をはっきりさせること)、嫌なことは嫌/好きなことは好きなどとはっきり自己主張できるようになることは、楽しく暮らしていくために(苦しくならないために)必要なことだと私は思う。子どもは、このときから割とすんなり自他の区別がつけられるようになった。ところが、自己主張については「胸がドキドキして言えないときもあるよ…」と言う。もちろん「無理はしなくていいんだよ。でも、いつも悔しくなるなら、少しずつ言えるようになろう」と伝えて、家では話をよく聞き、なんでも先まわりしないで自分の口で言えるまで待つなどしていたんだけど、「今日は言えた!」「今日は言えなかった!」を繰り返しながら、徐々に言えるようになってきた。最近は、言えなくて悔しい思い抱えたまま帰ってくることはあまりない(小学生以降では、また出てくるだろうけど)。

それと敬老の日の贈り物を選んだとき、子どもは元気のよい夫母には<大胆な柄の大判のハンカチ>、いつも荷物の多い夫父には<小さなキーホルダー>、植物が好きな私の母には<葉っぱ柄の布バッグ>を選び、「これなら喜んでくれるんじゃないかなあ」と言っていた。さらに私の母には「ばぁばは、じぃじがいなくてさみしいから、これもあげる」と白い貝殻のおまけつき。お土産を買うときも、渡す相手のことを考えるようになっていて、どんどん成長していくなあと思う。

ちなみに趣味に合わないものをもらう面白味もあるとは思うのだけど、私はものを増やしたくないし、かといって捨てたくもないし、ものにこだわりもあるので、あまり趣味とかけ離れたものをもらうとつらい。「この子(もの)も、うちにさえ来なければ大事にされただろうに…」って思ってストレスになる。でも、その話をしたときに友達が「それはね、くれた人を好きなどうかなんだよ」と言ったのが面白かった。相手のことがすごく好きなら「こんなのくれるなんてかわいい」と思って、どんなものも受け入れられるのだと。確かにそうかもしれない。

ただ、どんなに好きな人からでも、趣味に合わないものを大量にもらったら、やっぱりストレスなんじゃないだろうか。