日々雑録

40歳、書籍編集者の日記です。

『あたし おかあさんだから』について

Huluの「だい!だい!だいすけおにいさん!!」で流れた『あたし おかあさんだから』という曲の歌詞が炎上している。歌詞を見た瞬間、私の口からは反吐が出てしまい、その反吐が小川となり、大河となり、やがては大海になった(嘘です、が、そのくらい気持ち悪かった)。

これは様々なひとが言及している通り、母親だけに呪縛を与えると同時に、子どもに恩を着せて罪悪感を持たせかねない歌詞。本当に腹が立ったので、私が腹を立てた理由を詳しく書いてみることにした。

〇間違いなく女性蔑視だから

「立派に働けるって 強がっていた」という部分。当たり前だけど、女性が一人暮らしをしたり働いたりすることは、男性がそうではないのと同じように、強がりなんかではない。すべての女性に対して失礼だ。男と女は違う生きものだとでも思っているのだろうか。母である前に、みんな同じ人間。働く理由は、まず<生活していくため>が多いだろうけれど、それ以外にも<社会貢献したい>、<特定の仕事で成し遂げたいことがある>とか様々だろう。そこには女も男もない。私自身、子どものときから編集者か保育士か建築士になりたくて、編集者になった。そして、歌詞を読み進めると、このお母さんはパートをしていることがわかる。立派に働いている。だいたい男だろうが女だろうが、家事や子育てに専念していたって、やはり立派に働いているだろう。

〇女性が「家」に縛り付けられてきた歴史に無知だから

私は現在40歳だけど、女性が十分な教育を受けられなかった世代の祖母は「女性の人生には我慢が多い」、進学率は多少上がったものの花嫁修業的な意味合いが強かった時代の母は「もっと仕事がしたかった」と言い、やっと進学や就職が普通になった世代の私には「自由に生きてほしい」と言った。祖母も母も、前向きに自分の人生を受け入れていたから幸せそうではあったものの、“女性に生まれたがために”、自由ではなかったからだ。ほかでも、良妻賢母とされた女性が「男たちはずるい 自由に夜まで出歩いて」、「家庭から逃げて えらそうに」と本音を言う姿をたくさん見てきた。

見なかっただろうか? 自分の母ではなくても、年末年始や冠婚葬祭に自分の夫が酒盛りを楽しむ中ずっとお給仕をして疲れ果てている母を、ひとり家事や育児に追われて大変そうな母を、遊びに行く夫を後目に自分の趣味もままならない母を、どこかで。おかしいと思わなかっただろうか、同じ人間であって同じ親なのに、母だけが家事や育児をするのを。思わなかったとしたら、どうかしている。

自由にすればよかったのにと思うひともいるかもしれないけど、昔は特に男の子を進学させるために女の子は進学できないことが多く、幼い頃から「女は結婚して子育てするもの」、「女は勉強や仕事をしなくともよい」という有形無形の様々な刷り込みに晒され、気が付いたら子どももいて逃げられないということは本当に多かった(今でもある)。美化された良妻賢母たちの中には、確実にただ順応して我慢せざるを得なかった女性がたくさんいる。子どもに出会えたこと自体は幸せでも、時代的なことだから過ぎたことだからと仕方なく肯定的に受け止めたとしても、女性だからと性別を理由に理不尽な我慢を強いられたことについては、多くが確実に不満だったと思う。差別だから。

〇今も子育ての負担は女性に偏っているから

前項のような歴史の名残で、今でも子育てや家事の負担は、まだまだ女性に偏っている。そのうえ母性神話も未だにまかり通っているために、肉体的にも精神的にも苦しんでいる女性は多い。頭では「子育ての責任者は私だけじゃない。夫も責任者」と思っていても、産後のホルモンバランスの乱れや疲れ、世間の風潮から「母になったし、もっと子どものことをやらないと」、子どもに何かがあると「私のせいだ」と産後うつ育児ノイローゼになるほど追いつめられてしまう女性も多い。第一、夫が家にいなければ分担できない。それなのに「事実でしょ?」と、さらに追い込むような歌詞をまき散らされたら、怒って当たり前だろう。もしも差別がなかったとしたら―刷り込み教育がされず、平等に就学や就職のチャンスがあり、子育てや家事も分担されていたら―ここまで炎上しなかったかもしれないけれど(それでもなぜ母だけ?という疑問は残る)、いまだにそうではない。

〇とにかく我慢、我慢の歌詞だから

「おかあさんだから」「おかあさんだから」と、様々なことを我慢する母親が描かれているが、息抜きもしようみたいな言葉はひとつも現れない。子どもとのかかわりの楽しさも出てこない。とにかく我慢して滅私奉公するばかり。もしかしたら一部の母は好き好んでやるかもしれないけど(それは自由にしたらいいと思うけど)、ほとんどの母は心が病んでしまうだろう。当たり前だけど、母になったって、本当は好きなことをしていい。子育ては父もやるべきだ。そのほうが、子どもにだってよいだろう。だいたい母だって父だって誰だって、自分を大切にできないのに他人を大切にできるわけがないと思う。

〇勝手に一般化して母親への呪縛を強化しているから

作者は「歌詞の内容で僕が おかあさんたち こうなんでしょって 想像で決め付けて書いていることは、一つもないよ 取材して書いているので」と責任逃れをしているけれど、そういう問題ではない。書いたのは作者。それに、もともと自分の絵本を好んでいてFacebookでつながっている自身の考えと親和性の高い母たちに、「おかあさんだから我慢していること」を聞いていて、しかもいくつかの例文がそのまま使われている。バイアスかかりまくり。それなのに「日本中のママたちに聞いた」というのは、どういうことなのか理解に苦しむ。勝手に一般化して代弁したつもりにならないでほしい。

〇子どもに聞かせたくないから

この歌詞は、子どもによっては「生まれてきて、ごめんなさい」、「我慢ばかりさせて、ごめんなさい」と罪悪感を持ってしまうだろう。うちの子なんか、ほぼ間違いなくそういうタイプだ。一方で「子育てや家事は女性がやるものだ」と、時代遅れの性別分業を刷り込むことにもなってしまう。この点でも最悪。やっと少しずつ、子育ても家事も男女両方がやるものだという風潮になっていっているのに逆行している。

ついでに、これから子どもを育てたいと思っている人が、子どもが、こんな歌詞を見たら親になるのがこわくなりそうなところもよくない。子育ては我慢ばかりじゃなくて楽しいよ、夫婦で分担しながら他人も頼って息抜きしながらで大丈夫なんだよと伝えたい。実際、私は友人や知人から「親になっても変わらないところを見るとホッとする」「子どもを持とうと思った」と言われたことが何度かある。

自分は自分でいいんじゃないかという考えもあるかとは思うけど、私は差別的なものには異議を唱えたい。ただでさえ、普段から、まだフェアじゃないのだから。だいたい表現が自由だとしても、公開されたものに対して批評や批判をする自由もあるのだから。