日々雑録

40歳、書籍編集者の日記です。

来世があるなら男か女か

仕事関係の人と大勢で話していたとき、「来世があるとしたら、男に生まれたい? 女に生まれたい?」と聞いた人がいて、全員が「男」と答えたので悲しい気持ちになった。私もどちらかというと、社会が現状のままなら、次は男がいいかなって思ってしまう。

私は旧弊な田舎に生まれたけれど、女性解放運動をしていた親に育てられたので、家庭内で「女の子だから」と何かを制限されたことはなく、「女の子らしさ」を押しつけられたこともない。基本的には私も弟も平等だった。むしろ父は自分が親から押し付けられた「男らしさ」をつい弟に少し押し付けてしまい、また反動もあって女尊男卑ぎみだったかもしれない。母は「わがままに生きて 好きな仕事をして」と確実に私に期待をかけていた。優秀であれ、ではなく、自由であれ。

でも、家を一歩出れば、そこは男尊女卑の国。親世代の女性たちの多くは専業主婦で、夫や舅姑の理不尽に耐えていたり、夫は飲み歩いているのに家事や子育てや介護に追われて時間も自由にならなかったり。同級生でも女だというだけで兄弟より成績がいいにもかかわらず進学をあきらめた人もいたし、進学すれば「女の子なのに大学?」って言われることなんて特にめずらしくもなく、こんな窮屈な田舎からは早く出たいと思っていた。就きたい職業が編集だったからとか田舎が合わなかったというのもあるけど、性差別にうんざりだったのも大きく、中学生の頃には既にこんなところで結婚するなんて絶対無理だと思っていた。婚家に入るとか舅姑に仕えるとか、そんな時代錯誤はまっぴらごめん。

その後、上京すると、大学でも他でも誰からも女らしさを求められず(そんな空気もなく)、就職した会社にも全く差別がなく(中小だからかな)、気持ちよく暮せた。結婚のときは、夫が自分の両親に「結婚します。これはきちんと話しておきたいんだけど、〇〇家の嫁ではなく、ぼくの妻になるだけだからね。名字を変えてもらうのは、選択的夫婦別姓制度がまだないから。お父さんとお母さんとは親しくなっても永遠に他人だから、それを忘れないで」と説明してくれた。「お父さん」「お母さん」と呼ぶと錯覚を起こしやすいだろうし、違和感もあったので、お互いの両親は名前に“さん”づけで呼ぶことに。うちの親は「好きに呼んで」って感じだったけど、夫の親は驚いたかもしれない。かくして、お互い好きな仕事や趣味を自由にして適当に家事を分担して、ずっと同じように暮らしてきた。

ところが、先日ツイッターでも話題になっていたけど、妊娠・出産をすると、話は違ってくる。子どもを産む前から少し予想していたけど、思っていた以上だった。妊娠するのも出産するのも授乳するのも、どうしたって女性。産休をとるのも女性。私は大丈夫だったけど、妊娠中に体調が悪くなったり会社に居づらくなったりして仕事を手放さざるを得ない人もいる。この時点で女性だけ高リスク。さらに「主に女が子育てすべき」「女は母性があるからできるはず」「女は子育てを最優先にすべき」という抑圧はまだ強い。母性幻想はいい加減にしてくれと言いたくなる。女だから子育てや家事に向いている、なんでも耐えられるということはないんだよ。男女とも同じ。ただ努力の差や個体差があるだけ。

私たちの場合、私が子どもを育てたくて(正確には、突き詰めると本当にそうなのかよくわらない気がしたけど自然に任せたかった)、当時の夫は好きな仕事に集中したいから(時間が自由にならない仕事だし)という理由で望んでいなかったので、私が子育てや家事を多く担当する約束だった。が、実際に平日ほぼひとりで育児と家事と仕事をやってみると、なんて疲れるんだろう、なんて不自由なんだろうと思った。仕事して保育園に迎えに行って家事をして、また仕事をして。

夫は、別に<女が子育てや家事をするべき>とは思っていないので、子どもが生まれてすぐから週末にはときどき1日中ひとりで子どもの世話をしたし、普段も子育てや家事をできるだけしてきたけど、私としては出産前と比べてあまりに負担が大きかったし、何より体が疲れ果てていたので(なんで私ばかり!)と爆発的な怒りを感じたこともあった。ただ、分担できるときはするから、話し合えたから、感謝を表してくれたから、大前提として家事や子育ては女の仕事だと思っていないから続いている。そうでなければ離婚していたかもしれない。

多くの女性が言っているように、まだ子どもができると女性の負担が増えることが多い。だいたい、なかなか公平に半分になんてできない。でも、確実に私の祖母はもちろん、母の時代よりずっとマシになっている。子どもをひとりで連れ歩く男性はめちゃくちゃ増えたし、育休を取る男性もいるし、きっと今後も増えていく。みんなが声をあげたり、夫と話し合ったり、子育てに生かしていけば、次の世代にはもっとよくなっているはず。私は私にできる小さなことを――例えば、男女両方へ呼びかける子育て本を作るとか、自分自身の子どもが性役割に縛られないよう「男の子だから」なんて言わずに育てるとか――地道にやっていこうと思う。

とにかく、次世代の女性にはもっとラクに生きてほしい。あと、いつか「来世は男女どちらでもいい」と言えるようになりたい。