日々雑録

40歳、書籍編集者の日記です。

子どもに読んでほしくない絵本

昨日、園に子どもを迎えに行くと、3歳児クラスで読んだ絵本として『ママがおばけになっちゃった!』が紹介されていて、よりによってお母さんを亡くした子どもがいるクラスだったこと、普段とてもよい保育をしてくださっていると信頼していたこともあり、失望と怒りで震えた。

だいたいのことには賛否両論ありえる。なんでも善悪二元論に落とし込むのは好きじゃない。けれども、ものには限度がある。『ママがおばけになっちゃった!』は、以下のような理由でまったくおすすめできない絵本だと、私は思う。

①分離不安を引き起こす可能性が高いから

幼児が愛着関係にある保護者から離れるのを不安に思うのは当然で、それでも安心感を取り込みながら少しずつ離れられるようになっていく。これが自立への第一歩なのに、まったく意味もなく「お母さんが死ぬかもしれない」という不安を抱かせることは、子どもの育ちを邪魔することにしかならない。

うちの子は5歳のとき、『もののけ姫』がきっかけで「死」について疑問を投げかけてきたので、いろいろと会話したけど、丁寧に話してさえ、数日間は「ママは死なない?」「ママが死ぬと、ぼくも死んじゃう?」と不安そうに聞いてはくっついたり泣いたりしてた。まだ自力で生きていけない子どもにとって、保護者の死は実際的にも心情的にも何より怖いこと。「ママは死なないよ」「たとえママが死んでも、あなたは死なないよ」と答え続けた。本人が聞いてきたときには(聞ける状態になったときには)大人は応えるべきだと思うから、あらゆる生き物はいつか死ぬことは伝えたけれども、伝え方には注意が必要だと思う。

②脅しでお母さんに感謝させようとするから

「親学」や一部の「二分の一成人式」なんかもそうだけど、大人が子どもに「親への感謝」を強要するのは本当におかしなこと。作者は以下のように言っているけど、脅して感謝を引き出そうとすることが適切なわけがないでしょう。しかも幼児に「ビンタ級の威力」って、何を言っているんだと強い憤りを感じる。

「大人もそうだけど、特に子どもはママに何かしてもらえるのは当然だと思ってる。だけど、それがなくなることはあり得るんだぞ、ということ。この本は子どもに対してビンタ級の威力があると思いますよ(笑)。「お前、ママは大切なんだぞ、よく考えてみろ」って分かってくれるといいな。」(webサイト「QREATORS」より)

③あまりにも死を軽く扱いすぎているから

この絵本において、お母さんはいきなり車にひかれて亡くなって「おっちょこちょい」ですまされている。大切な人を亡くすということは、こんなに軽くふざけて茶化せるようなことではない。シリアスすぎると子どもが読まないから、鼻くそやパンツを出せばいいと思う安易さもひどい。事実を伝えるという観点からもよくないと思う。

④主人公に「ひとりでやれるよ」と言わせるから

当たり前のことだけど、あえて問いたい。お母さんを亡くしたばかりの幼児がなんでもひとりできたり、がんばったりする必要ある? あるわけがない。まずは大人に悲しみを受け入れられ、受け止められて少しずつ回復して、それから成長していけばいい。

⑤以上のようなことを子どもに強要するから

子どもは大人が選んだ絵本を断れないことが多い。家庭はもちろん図書館や学校、園などで読みあげているかと思うとゾッとする。集団行動においては特に苦痛でも逃げられない。苦痛を感じてまで読んだほうがいい本なんてないし、絵本は子どものためにあるべきだ。

まして大切な親を亡くした子どもに、こんな絵本を読み聞かせるのは不適切すぎると思う。家庭によって死生観は違うし、がんばることを決して強要してはいけないし、ふざけた場面で他の子が笑っても悲しさは募るだろう。場合によっては(お母さんがおばけになるなんて)と悲しむかもしれない、(なんで自分のお母さんは出てきてくれないの)と悲しむかもしれない。下手したらトラウマになる。

本当に愛する人を亡くすと、大人だって簡単には立ち直れないもの。私なんか36歳で父を亡くしたけれど、まずはあまりのショックで足元の地面が崩れ落ちるような感覚を覚え、死を受け入れられない時期があり、悲しみにくれる時期がきて、うちにこもる時期を経て少しずつ元気になっていった。

幸いなことに、以上のようなことを園長先生に話したら理解してくださり、もう読んでしまった後なので傷ついた子がいたらケアしてくださるとのこと。よかった。わかりやすく分離不安を示さなくても、なんともないような顔をしていても、傷ついている子はいるかもしれない。深く傷つく子がいるかもしれないような本は、それでも読むべきか慎重に検討すべきだし、本当は読まないでほしい。

なお、この本の作者はインタビューにおいて、「子どもはおもしろいものが好きで、とにかく遊びたいんです。一方、絵本を読み聞かせるお母さんは、自分も涙ぐんでしまうような感動物語を求める傾向にあると発見しました」と言い、地の文には以下のように書いてある。

“彼の特徴的な取り組みのひとつに、完成前のラフ原稿を用いてさまざまな場所で何度も何度も繰り返し読み聞かせていることがある。この読み聞かせは発売前に2000回にものぼって行われる。自分の子どもに、講演会や読み聞かせ会に来てくれた親子に、何度も聞いてもらって反応を見る。受けがよかった部分、悪かった部分をブラッシュアップし、直しながら次の機会で新しいものを見せる。そうして完成形に近づけていくのだ。”(事業構想2017年10月号より)

真摯に子どものことを考えるのではなく、マーケティングを重視しているのがわかる。今年の夏には、“虐待を受けた子どもも親を選んで生まれてきた”とする「胎内記憶」をテーマとした絵本も出している。節操がなく最悪だ。

何かに疲れていたり自信がなかったりすると、子どもがこういう本を読んで泣いてくれれば承認欲求が満たされるかもしれない。でも、できたら他の方法で、子どもを傷つけない方法で満たされてほしい。大人だけが読むという方法もある。子どもを大人が感動(というか、これは死が悲しいから単純に涙が出るだけだと思うけど)するための道具にしないでほしい。

これらの絵本を読まされて傷つく子どもがひとりでも少なくなるようにと思い、微力ながら、このブログを書いた。